墨染寺blog~ぴぐ坊のつれづれ日記~

ぴぐ坊こと当山副住職が仏教のことを中心に、日々のよしなし事を綴ります♪

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3月12日 名取~身延山~京都帰着

東北訪問3日目。最終日。

この日は朝4時半に起床、5時に出発しました。
仙台市の南となりの名取市の閖上地区へ向かいました。
閖上地区は、津波により750名もの方々がお亡くなりになられた場所。
犠牲者の方々へのご供養のため、唱題行脚をさせて頂きました。
少し小高くなったところから、日の出と共にお自我偈一巻、お題目をお供えさせて頂きました。

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その後名取市を後にし、一路京都へ帰路につきました。
しかし、直接京都に帰らずに、日蓮聖人に今回の東北訪問のご報告をということで、途中身延山に立ち寄りました。
首都高で事故渋滞にはまってしまい、到着したのが午後4時頃。。。
なかなかハードな帰り道になりました。

さて、身延山に立ち寄ったのは、大聖人へのご報告の他に、もう一つ理由がありました。
それは、現在身延山大学で制作中の「悲母観音像」!
この悲母観音像は、岩手県陸前高田市に安置される予定の観音様で、当初の予定では3回忌に合わせて建立される予定だったのが、延期となりまだ大学の方にいらっしゃる、ということで今回立ち寄ったわけです。
昨年11月に行われた「いのりんぴっくin京都」で、来場者の方々に書いて頂いた復興祈願の写経を、この悲母観音様の頭に納めさせて頂くというご縁もありました。
是非お顔を拝見させて頂きたいと思いながら、なかなか足を運べずにいたので、今回は念願の初対面となりました。
身延山大学の柳本先生のご案内で、いよいよご対面!
高さ3メートルの立派な観音様が!!

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これから手と足を付けて、飾り付けや色彩を施し、まもなく完成とのこと。
念願叶って拝見したお姿に、ただただ合掌。。。

制作されている柳本先生曰く、ご遺族の方や被災地の方が手を合わせるこの観音様は、野仏のようなものではダメなのだと、大きくて重厚で誰の目から見ても立派だと思わせるような観音様でないといけない、そう仰いました。
初期段階ではまだまだ軽い感じだったのが、彫り進めていくうちに、亡くなられた方々の思い、ご遺族や被災者の方々の思い、全ての想いを引き受けるにふさわしい観音様に、自然とそうなっていったのだそうです。
しかも、この観音様は出開帳もされるそうで、ご希望であれば被災地のどこにでも出開帳できるようになっているのだそうです。
この観音様が、亡くなられた方々の悲しみを引き受け、ご遺族の方々や被災地の方々の心の拠り所となること、復興を目指す人たちの灯火のような存在となることを、願ってやみません。

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そして、身延山大学を後にし、日蓮大聖人が眠る御廟所を参拝させて頂き、今回の旅のご報告をさせて頂きました。

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そして、京都に向けて進路をとり、夜11時過ぎ、無事に帰着いたしました。
超過密スケジュールでしたが、被災地を訪問させて頂き、様々なことを考えさせられました。
やはり一番大切なことは、祈り続けること、支援を続けること、風化させないこと、よりよい社会を築いていくこと。
これらのことを、決して忘れず日々を過ごしていこうと思います。
今回は3回忌という、いわば節目の時となりましたが、どんな時でも都合がつけば、現地を訪れ、できる支援活動をしていかなければならない、そう実感しました。

以上、3日間の東北訪問の報告と致します。
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  1. 2013/03/19(火) 19:50:34|
  2. 参拝記
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3月11日 石巻 3回忌法要・慰霊塔開眼法要

東北訪問2日目。

3月11日は、石巻で行われた東日本大震災犠牲者3回忌追善法要・慰霊塔開眼法要に出仕させて頂きました。
東北地方の各地で3回忌法要が営まれていましたが、私たち京都日青のメンバーは、縁あって石巻の法音寺さまで行われた3回忌法要と慰霊塔開眼法要に出仕させて頂きました。

京都の先輩上人を通じて、石巻に慰霊塔が建立されることを知ったのが年末くらいだったと思います。
神奈川の青年会に所属する久住上人が発起人となって、法音寺さまが管理される土地に、慰霊塔が建てられることになりました。
その土地の周辺は、家屋や工場、職場などが津波で流され、600名もの方々がお亡くなりなった、最大級の被害があった場所です。
法音寺の谷川住職は、慰霊塔建立の趣旨説明の中で、
「未曾有の大震災を300年先にも語り継がれるような慰霊塔を今だから建てたい。建物が解体されて何もなくなった故郷に、手を合わせることのできる場所が欲しい。」
と語られました。
津波によって、何もかもが流されてしまったその場所は、手を合わせる対象物すら無い状況だったそうです。これでは亡くなられた精霊に供養することもできない、ということで、久住上人と谷川住職が慰霊塔建立を発願された、という経緯があったのです。
私たち京都の僧侶も、この趣旨に賛同し、慰霊塔建立のお手伝いをわずかながらさせて頂きました。
そういった経緯で、3月11日に開眼されるその慰霊塔にお参りをすることとなったのでした。

法要参列に先立ち、午前中に石巻市内を慰霊行脚させて頂きました。
まずは、石巻市内の日和山公園という高台にある公園にて、海岸に向かって一読させて頂きました。
日和山から見た被災地の様子に、津波の恐ろしさを改めて感じました。
この日は前日の暖かい気候から一変し、冷たい風が吹き荒れ、最高気温が4度という寒さ。
2年前の3月11日も、恐らく寒かったであろうことを思い、津波に流された方々や被災された方々が、どんなに恐怖と寒さに心を震わせていらっしゃったか、本当に胸が詰まる思いがしました。

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そして日和山を下り、石巻市内を唱題行脚しました。

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津波が3階部分まで押し寄せたであろう小学校の校舎など、まだまだ震災の傷跡が残る建物を見て、言葉にならない感情がこみ上げてきました。

唱題行脚を終え、法要が行われる法音寺さまに向かいました。
法音寺さまは高台にあるお寺で、震災当時、被災者の方々の避難所として開放されていたそうです。
最前線で、被災者の方々や遺族の方々と向き合ってこられたお寺です。
初めは、3回忌法要に参列させて頂くだけ予定だったのですが、御住職のご厚意で、法要に式衆として出仕させて頂きました。
13時より始まった3回忌法要に、150名もの参列者の方々がお見えになっていました。
私も、心を込めて一心に読経・唱題をさせて頂きました。

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そして、3回忌法要終了後、移動して、慰霊塔開眼法要の場所を訪れました。
「久遠の祈り」と名付けられた慰霊塔。

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風が強く、気温も非常に寒い中、屋外で行われた開眼法要にも、100名近くの参列がありました。
参列された方々が、静かに手を合わせ、祈られているお姿がとても印象的でした。
この慰霊塔が、被災者の方々、遺族の方々が祈りを捧げ、心の拠り所となることを心からお祈り致します。
そして、これからも私たち僧侶だからできる「慰霊・供養・鎮魂」という目に見えない支援を、「久遠の祈り」として続けていかなければならない、そう思いました。
お亡くなりになられた方々の追善菩提、また被災者の方々の心の平穏、被災地の早期復興を、心より祈念申し上げます。

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◆法音寺の谷川住職と奥様
  1. 2013/03/17(日) 21:19:21|
  2. 参拝記
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3月10日 南三陸町ボランティア

3月10日~12日の3日間、宮城県に行って来ました。
2年前の3月11日に起こった東日本大震災
その東日本大震災の犠牲者の方々が三回忌を迎えるにあたり、京都日蓮宗青年会の有志で被災地を訪れました。
現地で、ボランティア活動・慰霊行脚・3回忌慰霊法要出仕、といった活動をして参りました。
何回かに分けて、報告の記事を書かせて頂きたいと思います。

3月9日の夕方17時頃、京都を車で出発し、宮城県南三陸町を目指して走り出しました。
3月とはいえ、夜道の運転でまだまだ雪や凍結が心配だということで、北陸道経由ではなく、東名~首都高~東北道というルートで東北を目指しました。
新東名を初めて走りましたが、道も広く、夜でも明るく、大変走りやすい高速でした。
走りやすすぎて、ややスピードが。。。(汗)

3人で交代しながら運転すること13時間、朝6時前くらいに南三陸町に到着しました。
私は震災が起こった年の夏、慰霊行脚に南三陸町を訪れたのですが、その当時はまだ生々しく家や建物が残されていたり、道路が曲がりくねっていたりと、まざまざと被害の様子を見せつけられました。
今回は、残されていた建物が取り壊されていたり、少しではありますが道が整備されていたりと、少しずつですが前に進んでいる様子も伺えました。
しかし、広がっているのは更地で、そこにかつて町があったということも想像できないような光景がまだまだ続いています。恐らく被災されている方は、まだまだ気が遠くなるような時間と辛抱を強いられているのだろうな、ということを思いました。

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さて、被災地訪問1日目は、南三陸町でのボランティア活動に従事させて頂きました。
南三陸町のボランティアセンターに到着し、少し朝ご飯を食べて、1時間ほど仮眠を取って、ボランティア活動に参加しました。
私たちが参加したボランティアは「漁業支援」ということで、ワカメ漁をしている漁港でのお手伝いをさせて頂きました。
漁港から少し高台に上がったところにある小屋で、取れたワカメを出荷用に仕分けをする、という仕事でした。

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◆高台から見た南三陸の海。風が強い日で波も高かったが、町を飲み込むほどの津波が来たとは思えないような景色でした。

朝9時からお昼の3時まで、ワカメの仕分け作業をさせて頂きました。
その漁港の皆さんから、震災当時のことや、現在の生活のことなど、様々なことを伺いました。
そこの漁港は、もともとは個人でワカメ漁を営んでいらっしゃったそうなのですが、津波で船や道具などが流されてしまったので、国から補助金をもらって、共同でワカメ漁を再開されたそうです。
仮設住宅に住まわれている方もいらっしゃいました。
被災後しばらくは、電気も止まり、情報もなく、自分達だけが被災していると思っていらっしゃったそうです。
食べるものも少なく、地元の高校生達が、食べ物を求めて一山越えて40キロの道のりを「お米を下さい」と言って歩いてまわられた、というお話しを聞いて、胸が詰まる思いをしました。
東京などの都心で被災された方が、水や食料の買い占めに必死だったことを考えると、東北地方を「周辺」と位置づけてきた「中央」の傲慢さを改めて思いました。

しかし、漁港のお母さんは、ボランティアに訪れた私たちを「宝だね」と仰って下さいました。
若い人が手伝ってくれるだけで、活気が出てくるし、仕事もはかどるし、君たちは宝だ、と。
そして、ボランティアに来てくれたお陰で、少しずつだけど元気も出てきたし、復興も進んできているんだ、と。
恐縮至極なお言葉でした。
1日しかお手伝いできない私たちに、そんな言葉を掛けて下さり、優しく受け入れて下さるお姿に、頭が下がる思いで一杯でした。
こんな風に、前向きに生きていらっしゃるお姿に、こちらが励まされたような気がします。

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今回のボランティアでもう一つ感じたことは「手仕事」の大切さです。
1日だけ、という非常に短い時間でしたが、ワカメに直に触れて作業をしていると、自然とその自分が触ったワカメに愛着が沸いてくるということでした。

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「手塩にかけて」育てられて、私たちの口に入り、栄養となって命を繋ぐことができる、という普段は忘れてしまっていることを、改めて思い返す機会となりました。
「大量生産、大量消費」の社会の現在、食べ物に限らず何でも、「手塩にかける」ということが、ほとんど「便利」と「合理」に取って変わられているように思います。
被災後に生きる私たち、また同時に次の被災前を生きる私たちは、これからこの「手塩にかける」ということを心に留めた社会作りを真剣に考えなくてはいけないのではないか、と思いました。

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ボランティアの後、南三陸の海岸にて、震災犠牲者の方々のご回向と復興祈願の読経をさせて頂きました。
次の日は石巻での3回忌法要に出仕させて頂きましたが、次の記事で報告させて頂きます。

  1. 2013/03/15(金) 13:20:31|
  2. 参拝記
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本昌寺さま帰山式!

先日2月11日、上京区にある本昌寺さま・児玉真人上人第四行帰山奉告式に参列させて頂きました。
帰山奉告式とは、寒一百日のご修行を終えられた修行僧が、ご自坊の仏祖三宝・諸天善神に無事修行を成満したことに報恩感謝の誠を捧げ、また檀信徒の皆様にも無事成満のお姿をお見せし、御礼を申し上げ、その修行の功徳でもって、御祈祷をさせて頂くための式典です。

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今回本昌寺さまに帰山された児玉上人、ならびに同じく京都より入行されていた鳥居上人は、私が所属する「京都日蓮宗青年会」で大変お世話になった先輩上人です。厳しさの中にも温かさをもってご指導頂きました。
そんなお二人、今回は第四行、つまり4回目のご修行を終えられ、帰山されたのでした。

帰山式は、まず帰山行脚から始まります。
私も行脚隊として、太鼓を叩きながらお供をさせて頂きました☆
成満旗がたくさん!!大漁旗のような成満旗も!!(*≧m≦*)

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旗を先頭に、行僧上人たちの行列が出発します。
帰山される児玉上人は、100日間お経をあげられた鬼子母神様が!

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そして本昌寺さまに到着されると、早速水行が始まりました!
痩せ細られたお姿と、涸れて潰れたお声に、今回のご修行の厳しさが偲ばれました。

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水行が終わると、いよいよ本堂にて帰山奉告の法要が営まれます。
御宝前修法を行い、本昌寺の仏祖三宝さまに帰山奉告文が読まれました。
今回感得された水神相承について、力強い大音声にての奉告文、非常に感動いたしました!

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その後、特別加持祈祷を行われ、無事帰山式の式典を終えられました。

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私も、昨年の2月に2回目の修行を無事成満させて頂きました。
あれから1年が経ち、自分の2回の修行を振り返り、その厳しさに思いを馳せましたが、4回もの修行を重ねられた児玉上人のお姿を見て、改めて自分も頑張ろう!という気持ちになりました。
3回目の修行に関しては、まだまだ自分自身の気持ちも含めて決断できずにいますが、日々の精進を重ねていくことが、今の自分に課せられたこと。日々の布教活動に、改めて精進しようと決意させて頂いた一日となりました!

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  1. 2013/02/14(木) 12:04:52|
  2. 参拝記
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東京での出来事~その② 中山法華経寺参拝記~

東京訪問2日目は・・・
スカイツリー!!
・・・にも行きたかったのですが、時間がとれず断念(泣)
当初の予定通り、日蓮宗大荒行堂に入行されている先輩上人方のお見舞いに行って来ました。

「日蓮宗大荒行堂」は、千葉県市川市にある大本山 法華経寺の境内地の一角にあります。

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11月1日から翌年の2月10日までの100日間、修行僧の方々が水行と読経三昧の苦修錬行に励まれています。
朝3時の水行に始まり、6時、9時、昼の12時、3時、6時、そして夜11時一日7回の水行を行い、それ以外の間は読経三昧の文字通りの荒行に挑まれています。
睡眠時間は3時間ほど、食事は日に2度、お粥とお味噌汁のみという過酷な環境での修行です。
35日経つと面会が許されるようになり、外堂と呼ばれるお堂で、参拝者の方々への御祈祷ができるようになります。
ですので、入行されている行僧のお寺の檀信徒の方々や家族、また有縁の方々は、行僧と面会されこの御祈祷を受けられるのです。

私も昨年、2回目の荒行を成満させて頂きました。
ですので、約1年ぶりに荒行堂を訪れることになります。
この荒行堂の前に立つと、自身の修行のことなど、様々なことが思い出されます。
自然と気持ちが引き締まる場所です。

今回、京都から4回目の修行をされている先輩上人お二人と、私が初めての行の時の仲間と面会させて頂きました。
みなさん、一様に痩せていらっしゃいましたが、今は体調も崩すことなく修行に励まれていらっしゃる、とのことでした。今年は例年になく寒いのが、身体に堪える、とも仰っていました。
残り10日を切りました。修行僧の皆様のご無事のご成満を心からお祈りするばかりです。

さて、この荒行堂の他に、法華経寺さまには様々なお堂や建物があります。

まずは、聖教殿

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こちらは、日蓮聖人の書かれた書物・お手紙をお護りするために建てられたお堂です。
この聖教殿には「立正安国論」「観心本尊抄」などの日蓮宗の教義上、大変重要な書物がたくさん納められています。
ちょうどこの聖教殿の裏手に荒行堂の水行場があります。
水行時間にあたっていたので、水行肝文をお唱えされている声がこだましていました。
思わず、水行場に向かって、合掌。。。

こちらは、その聖教殿の隣にある「瑞門」。
荒行堂へと続く門で、この門は入行の日の11月1日と出行の2月10日の二日間しか開くことはなく、それ以外の日には、堅く閉ざされているもんです。
非常に厳かな雰囲気で包まれています。

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こちらが祖師堂!

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日蓮聖人をお祀りするお堂です。
3日後に節分星祭りを控え、準備の最中でした。

こちらが五重の塔!

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その他にも「法華堂」「鬼子母神堂」など、広大な境内地にたくさんのお堂が並んでいます。
久しぶりにゆっくり参拝することができました☆

今回の東京(法華経寺は千葉ですが^^;)訪問、とても有意義な2日間となりました☆
  1. 2013/02/04(月) 18:22:01|
  2. 参拝記
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