墨染寺blog~ぴぐ坊のつれづれ日記~

ぴぐ坊こと当山副住職が仏教のことを中心に、日々のよしなし事を綴ります♪

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
  1. --/--/--(--) --:--:--|
  2. スポンサー広告

「いのち」について考えさせられた初夏の日

昨日の午前中、とある場所に見学に行きました。

「とある場所」というのは、食肉加工センター。

私たちが普段食べているお肉。スーパーなどで売られているお肉は、細切れになってパックに入って売られていて、そういう状態でしか、私たちはほとんど目にすることが無いと思います。
ともすれば、その状態だけを見ると、「私たちは、生きているいのちを頂いている」という感覚が、忘れられてしまいがちな気がします。

ということで、大学で畜産の研究をされていた先輩僧にお声掛け頂き、食肉加工の現場に連れて行って頂きました。

今回訪れたのは、京都から車で約1時間半、
兵庫県加古川にある「加古川食肉センター」。

DSC01787.jpg

敷地内には、「畜魂碑」という慰霊碑が建てられていました。

DSC01790.jpg

その日に加工される牛たちが集まっていました。

DSC01792.jpg

その後、職員の方がと殺の現場を案内して下さいました。
案内の後、食肉となる牛たちが、生まれてから加工され、実際に食されるまでのドキュメンタリーDVDを鑑賞し、センターの所長さんの話を聞き、見学が終了しました。

今、「いただきます」も「ごちそうさま」も、「宗教色がある」という理由で、子どもたちに言わせない、という学校や親御さんがいる、という話を聞いたことがあります。
「いただきます」は、「いのち」をいただきます、という意味であって、私たちがいのちをつないでいけるのは、生きているいのちを頂戴することであって、そこに感謝の気持ちを表す、というのが「いただきます」です。
「ごちそうさま」は、私たちの口に入るまでに、その食材の飼育や調理に、様々な人びとの「馳走」が関わっているわけで、その関わった全ての人びとに「ごちそうさま」と言って、感謝を表すのが「ごちそうさま」。
だから、「いただきます」や「ごちそうさま」は「感謝」や「畏敬」を表すのであって、と思うのです。
そこには、宗教に対する誤解や、一人歩きする宗教という「言葉」のネガティブイメージ、という問題が横たわっているように感じます。

最近、「畏敬」ということについて、よく考えます。
畏敬の念、という言葉、現代に生きる私たちはこの感覚を忘れてしまっていないだろうか?
科学や技術で、自然や災害も克服できると、傲る気持ちを持っていないだろうか?
食べ物に関しても、お金さえ払えば美味しいものが食べられる世の中、「食べる」という行為に畏敬の念が外されてしまっていないだろうか?
おそれ、うやまう、という感覚。
決して忘れてはいけないな、とこの見学を通じて、改めて考えさせられました。

飽食の現代を生きている自分、「いのちを頂く」という意味を考え直すいい機会でありました。
スポンサーサイト
  1. 2012/06/08(金) 17:43:44|
  2. その他
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:2

FC2Ad

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。