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墨染寺blog~ぴぐ坊のつれづれ日記~

ぴぐ坊こと当山副住職が仏教のことを中心に、日々のよしなし事を綴ります♪

第4回いのりんぴっく会議!!

先日9月28日、いのりんぴっく実行委員会の会議に出席してきました☆

いのりんぴっく とは、先日の記事でもお伝えしましたが、
11月23日(祝・金)本山頂妙寺さまを会場に行われる行事で、
「あれからも祈り、これからも祈り」と題して、
境内一帯が「祈りの場」となるイベントです♪
詳しくは、コチラをご参照下さい!!

その「いのりんぴっく」に向けて、各担当がそれぞれ企画を持ち寄って、会議を行いました☆

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ちなみに、私は「祖師堂班」という班を任されています!
「祖師堂班」は、開催地の頂妙寺の「祖師堂」というお堂での企画を受け持ちます。
で、その祖師堂では何が行われるかというと・・・

写経!が行われます☆

今回のいのりんぴっくの目的の一つである「祈り」
この「祈り」とは、昨年起こった東日本大震災の被災地復興への「祈り」
そのために、祖師堂を「いのりのお堂」として、開催中途切れることなくお経をあげ、その横で当日訪れた方々に震災復興の願いを込めて写経をして頂こう、という想いで行います。

そして、皆さんに書写して頂いた写経は、来年3月の3回忌に合わせて岩手県に建立される「悲母観音像」の胎内に納めさせて頂く予定をしております。

この悲母観音像は、現在、身延山大学教授の柳本伊左雄先生が中心となって作成されている観音さまです。
東日本大震災で亡くなられた方々への追善供養と、復興への祈りを込めて、一心に彫られています。
今後は、宮城や福島にも観音像をご奉安される計画だそうです。
そんな観音さまに、いのりんぴっくでの写経を納経させて頂く予定です!
詳しくは、身延山大学のHPをご覧下さい☆

11月23日に開催される「いのりんぴっく」では、様々な企画で皆様をお待ちしています!
是非、ご家族皆様でご来場下さい!
今後も、当ブログで様々な企画をご紹介しますので、乞うご期待!!


■□■□ いのりんぴっく in 京都 □■□■
開催日時:平成24年11月23日(金)午前10時~午後5時
開催場所:本山 頂妙寺 / 京都市左京区川端通仁王門東入
※こちらのサイトもご覧下さい☆


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  1. 2012/09/30(日) 22:55:23|
  2. いのりんぴっく
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結成50周年記念講演会

先日9月27日(木)、私が所属する京都日蓮宗青年会が主催する、
結成50周年記念講演会「お寺・僧侶を考える」第3回講演
「日蓮宗僧侶とはどうあるべきか」
を、本山頂妙寺さまを会場にお借りし、開催いたしました。

京都日蓮宗青年会は、今年で結成50周年を迎えます。
その記念すべき年にあたる今年度、いくつかの記念事業をおこなっています。
その一環で、5月から連続講演会という形で、3人の先生を講師にお招きし「お寺・僧侶を考える」という大きなテーマを設定し、講演を賜っています。

第1回「お寺とは、どうあるべきか」 の講演では、「葬式仏教」と揶揄されたり、「寺院の公益性」を問われたりしている寺院の現状を踏まえ、秋田光彦先生を講師にお招きし、本来のお寺の在り方をもう一度問い直すべく、講演をお願いしました。

第2回「僧侶とは、どうあるべきか」の講演では、仏さまの教えを弘める役割を担っているはずの僧侶自身が、僧侶らしからぬ行動をし世間を騒がせているのを耳にする中、小野文珖先生を講師にお招きし、我々僧侶は自ら懺悔し、自ら誓願し自ら起ち上がり身・口・意の三業における自行化他をしなければならない、と教えて頂きました。

そして今回、締めくくりとなる第3回は、
「日蓮宗僧侶とは、どうあるべきか」
と題して、「お寺」「僧侶」に続き「日蓮宗に所属し、日蓮聖人の教えを伝えていく我々日蓮宗僧侶とは、一体どうあるべきか」を今一度問い直すべく、講演を賜りました。

講師は、東京八王子 善龍寺ご住職 澁澤 光紀先生

澁澤先生は、東京都西部の教化センター長をお務めで、宗派や教団の垣根を越えて日蓮教学を研究されたり、出版物を刊行されたり、日蓮聖人の教学の現代社会での実践を目指して活動されています。

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そんな澁澤先生の講義は、非常に刺激的で、なおかつ、普段疑問に思っている部分に対するヒントを与えて下さるような講義で、大変興味深く講演を拝聴いたしました。

澁澤先生は講演の中で、 「内相承的・外相承的」という言葉を使われました。
これらは、日蓮聖人が、お釈迦様がお開きになられた仏教というものが、自分にどのように伝わってきたのか、ということを「内と外」という言葉で表現されたものですが、これを我々日蓮宗僧侶に置き換えて、「日蓮聖人の教えを私たち自身がどのように受け止めているのか」、ということを問われました。
「外相承」というのは、日蓮宗の内部にいて、法式であったりご祈祷の方法であったり、教団内部で継承されるもの
「内相承」というのは、日蓮聖人の弟子として、その教えを自ら継承していくこと。
日蓮宗の僧侶になったから、自動的に日蓮聖人の教えをそのままそっくり受け止められるか、といったらそうではなく、自らに問い続け、吟味し続けなければならない、そこから出発しなければならない、と仰いました。

そして、講演の後半では、現在の日蓮宗宗門が抱えている教学上の議論が話題に上りました。
本覚思想・御遺文真偽未決問題・摂折論争・『立正安国論』の現代社会での解釈・・・etcこれらのことを、これから悪戦苦闘しながら、答えを見つけていかなければならないことを痛感させて頂きました。

講演の結びに

いま求められているのは、不軽菩薩のように地道に一人一人語りかけながら自らを錬磨して徐々に立正安国の理想に近づいていく、そうした岩盤を穿つような持続した布教=不軽行ではないか。

と仰られ、講演を閉じられました。

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先生の熱いお話が盛り上がり、質疑応答で、さらに盛り上がり(笑)
約30分ほど超過して、今回の講演が無事に幕を閉じました。

講演会後も先生を囲んでの食事会を行い、そこで更にディープな話が!(笑)
たくさん勉強になるお話を聞くことができ、有意義な一日となりました。
  1. 2012/09/29(土) 22:00:20|
  2. 京都日蓮宗青年会
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☆★ 「お中日」ってなあに?? ★☆(お彼岸のお話~その②)

さて、前回の記事の続きです☆

今日は秋分の日、お彼岸のお中日♪
秋分の日といえば、昼の長さと夜の長さがちょうど同じになる日。
太陽が天の赤道上にあり、ほぼ真東から昇って、ほぼ真西に沈む。
「祖先をうやまい、なくなった人々をしのぶ日」として、国民の祝日の一つになっています。
(ちなみに、春分の日は「自然をたたえ、生物をいつくしむ日」と定められています。)
そんな秋分の日、22日に当たるのは、なんと116年ぶりだそうです!!
暦の不思議、天体の不思議を感じます。

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さて、前回では「お彼岸の期間や意味」について解説しましたが、
今回は「お中日」についてお話してみたいと思います。

上にもあるように、「祖先をうやまい、なくなった人々をしのぶ日」と定められていますので、
このお中日の日に、お墓参りに行ったり、お寺にお参りに行かれた方も多数いらっしゃると思います。
当山でも、もちろん彼岸会を営み、各家のご先祖さまへのご回向をさせて頂きました。

そんな秋の彼岸のお中日、前回の記事で説明した
「迷いの岸から悟りの岸へ至るための仏道修行期間」
というお彼岸の意味から考えて、「ご先祖さまへの感謝」の他に、
もう一つ大切なことを教えて頂く日
でもあるのです。

話変わって・・・

お釈迦様は、お悟りを開かれる前、自らの体をとことんまで痛めつけるような苦行をされていました。
減食に始まり、果ては断食を行ったり、呼吸をとめる瞑想を続けたり・・・
肉体の限界を超越して、悟りに到達しようとされたのでした。
頬はこけ、あばら骨がくっきりと浮き出るほどに、痩せ衰えられたお釈迦様。

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ある日「このような苦行では、決して悟りを開くことなどできない」と考えられたお釈迦様は、苦行を捨て、菩提樹の下で瞑想を始められます。
そしてついに、お釈迦様はこの世界の真理をすべて究め尽くされ、悟りを開かれたのでした。

この時にお釈迦様がお悟りになられたことの一つを、
「中道」
といいます。

「中道」とは「苦」や「楽」また「善」や「悪」というような、
二項対立的なものを超越し、極端に偏ることなく、「真ん中の道」を歩み続ける
ということを言います。
お釈迦様は、身体を痛めつける苦行だけでは、本当の悟りに至ることはできない、
「苦」や「楽」という対立する概念を超越したところにこそ真理がある、
と悟られたのです。

お彼岸の中日は、上にもあげたように、昼と夜の長さが同じになる一日
このような日に、お釈迦様の悟りの境地でもある「中道」というものを自分も観じて、
自らも仏になること、自らも仏になれること
に思いを致す一日でもあるのです。

日蓮大聖人もご遺文の中で、

苦をば苦と悟り、楽をば楽とひらき、苦楽ともに思合て、南無妙法蓮華経とうちとなへゐ(唱居)させ給へ。『四条金吾殿御返事』

と仰っています。
「苦楽ともに思合わせて」・・・
これこそが「中道」なのではないか、と思います。

どちらの極にも偏らない「ちょうどよい」「いい加減」の境地・・・
この秋の夜長に、このような仏さまの境地を、是非とも観じてみてはいかがでしょうか。。。

  1. 2012/09/22(土) 22:05:49|
  2. 年中行事・ご聖日
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☆★お彼岸のお中日★☆(お彼岸のお話~その①)

本日9月22日は秋分の日
お彼岸のお中日(ちゅうにち)でした!
墨染寺でも、本日14時より、多くの檀信徒の皆様のご参列のもと、盛大に彼岸会法要を厳修させて頂きました。

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「暑さ寒さも彼岸まで」の言葉通り、一時と比べると比較的涼しい中で執り行うことができました。
いつまでこの厳しい残暑が続くのか、と心配しておりましたが、やはり季節は巡っていきますね☆
当山の境内でも、彼岸花がその可憐な花を咲かせました。
お彼岸の時期に合わせるように咲くこの彼岸花、本当に不思議で美しい花だと思います。

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さてそのお彼岸ですが「彼岸」ってそもそもどういう意味かというと、
文字通り「彼の(かの)岸」、つまり 「あちらの岸」 という意味です。
「あちら」があれば「こちら」もあります。 「こちらの岸」「此岸」といいます。

では、何に対して「あちら」とか「こちら」とか言っているのでしょうか?
それは、「あちら」は「悟りの世界」 、「こちら」は「迷いの世界」
つまり、自分が悟りの世界にいるのか、迷いの世界にいるのか、それに対して「あちら」や「こちら」と言っているのです。

ですので、このお彼岸の期間は、仏道修行をして、
みんなで「あちらの岸」つまり「悟りの世界」へ行こう!
という期間なのです。

全く仏教を知らない方からは「お彼岸に期間があるの?」と問われることがありますが、
お彼岸は、春と秋の2回、春は春分の日、秋は秋分の日を真ん中に前後3日、計7日間あります。
ですので、春分の日秋分の日「真ん中の日」ということで
「中日(ちゅうにち)」
といいます。

この期間に、こちら側の迷いの岸から、あちら側の悟りの岸へと渡るために、
「六波羅蜜」
という仏道修行をします。

「六波羅蜜」とは「6種類の仏道修行」のことです。
「布施(ふせ)」・「持戒(じかい)」・「忍辱(にんにく)」・「精進(しょうじん)」・「禅定(ぜんじょう)」・「智慧(ちえ)」の6種類です。
これら6種類のそれぞれの細かい意味については、また説明させて頂きますが、
簡単に言えば、
「布施」は他人に施すこと、
「持戒」は戒律を守ること、
「忍辱」は困難や迫害を耐え忍ぶこと、
「精進」は懸命に努力すること、
「禅定」は心を穏やかに一定に保つこと、
「智慧」は物事の本質を正しく見ること、
と言うことができます。

お彼岸の一週間は、これら6種類の仏道修行を、お彼岸の中日の前後3日間に当てはめて、1日ごとにこの仏道修行に励み、悟りの境地を目指していきます。
ですので、今年の秋のお彼岸で言うと、彼岸の始まりが9月19日、彼岸の終わり(結岸)が9月25日ということになり、

19日「布施」
20日「持戒」
21日「忍辱」
22日お中日で、
23日「精進」
24日「禅定」
25日「智慧」
というように、当てはめられるわけです。

ではでは「中日」はどのような日なのでしょうか??
こちらは、次の記事 (お彼岸のお話~その②) にて説明させて頂きます~~

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(迷いの岸から、悟りの岸へ・・・イメージとして、ガンジス河の写真です☆)
  1. 2012/09/22(土) 20:57:52|
  2. 年中行事・ご聖日
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家祈祷

先日16日、千葉県柏市に行って来ました。
私は、小学校6年生から大学を卒業し京都に来るまでの12年間、千葉県松戸市で過ごしました。
柏はその隣の都市で、高校生活の3年間を過ごし、大学時代には、バンドの練習に、またアルバイトにと何度も通った思い出深い町です。
その柏に、バンド時代の仲間がマイホームを構えた、ということで、家祈祷(やぎとう)をしに伺いました。

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友人に本格的な御祈祷を依頼されたのは初めてで、いささか緊張しましたが、「ありがたいご祈祷だった」と言ってもらえて、何よりでした。
仲間との再会、そしてその彼が家族と共に立派に居を構え、そのお宅を御祈祷させてもらうご縁を頂戴したことが、非常に感慨深いものがありました。

最近では、建て売り住宅が増え、きちんと家を建てる家族が地鎮祭などを執り行うことが少なくなっていると聞きます。
家祈祷もしかり。土地をさわったり、家を建てたりということには、やはりその土地の目に見えない神仏に対して「これから大切な土地を使わせて頂きます」というようなご挨拶であったり、目に見えない因縁を払う必要があると思うのです。
近年、そのような目には見えないものに対する畏敬であったり、畏れという観念が希薄になっているのではないか、と思います。

墨染寺では、このような家祈祷や地鎮祭などのご祈祷も承っております。
日蓮宗の修法に従って、一心に御祈祷させて頂きます。
家の新築・改築などの際には、お気軽にご相談頂ければと思います。
  1. 2012/09/19(水) 21:11:08|
  2. 墨染寺
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☆ いのりんぴっくin京都 ☆

現在京都の日蓮宗では総力を結集して、とあるイベントを目下企画中でございます。

そのイベントとは・・・

いのりんぴっく in 京都!!

日蓮宗が毎年行っている行事で「環境・平和・いのち」というテーマに則り、様々な催しを通して感じてもらう「祈りの祭典」を開催しています。
その行事が、今年はここ京都で開催されます!!

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その「いのりんっぴっくin京都」、どんなことが行われるの?というと・・・
「仁王門をくぐると、そこは鎌倉時代だった・・・」
というコンセプトをもとに本山頂妙寺を日蓮聖人御在世の時代・鎌倉時代風にアレンジし、様々なイベント・企画が行われます。
具体的には・・・

○東日本大震災犠牲者鎮魂 並 復興祈願 音楽大法要
○バイオリン演奏(千の音色でつなぐ絆バイオリン)
○仏教落語(露の団姫さん)
○鎌倉の市(様々な物産展や伝統工芸品などの販売、フードコートなどなど)
○雅楽演奏
○民族音楽演奏
○和讃奉納
 ※こちらの和讃には、墨染寺婦人会有志の皆様が参加して下さいます☆
○絵画展
○日蓮聖人劇撮影(oneday movie)
○写経
○塔婆供養
○お茶席
○子どもブース(子どもさんが楽しく遊べるスペースです)
○唱題行
etc...


これら以外にもたくさんの催しを企画しています。
是非、いのりんぴっくin京都に足をお運び下さい!!

詳しくはコチラ↓

開催日時:平成24年11月23日(金)午前10時~午後5時
開催場所:本山 頂妙寺 / 京都市左京区川端通仁王門東入

※こちらのサイトもご覧下さい☆

さて、その「11.23 いのりんぴっくin京都」に向けた会議が、9月13日教法院さまにて行われ、私も参加してきました。

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京都宗門挙げてのイベントだけあって、多くの企画に対して、様々な意見が交わされました。
会議は深夜にまで。。。
それぞれの企画の詳しいことにつきましては、また追々ご案内できると思いますので、乞うご期待でございます☆
檀信徒の皆様はもとより、一般の方ももちろん参加できます♪
11月23日は、皆様、どうぞ「いのりんぴっくin京都」に足をお運び下さい☆
  1. 2012/09/15(土) 20:15:54|
  2. いのりんぴっく
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迷っても、悟っても・・・

昨日9月8日、京都一部宗務所主催の公開講座へ行って来ました☆

この講座は、2ヶ月に一度、本山本法寺さまを会場に開催されています。
仏教・法華経・お題目のお話を聞きたい!という方ならどなたでもご参加頂ける講座です。
この日も約100名の方々がお話を聞きに来られていました☆

毎回「ミニ法話」「本講座」の2つのお話を聞くことができます。
ミニ法話には、若手の僧侶を中心に15分のお話を聞き、
本講座では、各所で活躍されている著名なお上人さまのお話を聴聞することができます。
私も過去にミニ法話でお話させて頂いたこともあります☆

今回はミニ法話に教法院ご住職 三木天道上人
本講座には護国寺ご住職 上田尚教上人
それぞれのお話を賜りました☆

三木上人は「いのちに合掌」という講題でお話下さいました♪

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現在、日蓮宗門では「いのちに合掌」をスローガンに様々な活動を展開しています。
しかし、いざ「いのちに合掌」とは端的にどういう意味か?と問われると、シンプルなスローガンゆえに、説明に窮する部分もあります。
「いのち」とは何か?なぜ「いのち」は尊いのか・・・?
三木上人は、ある童話を題材に「いのち」とは何かをわかりやすく説明して下さいました。
多くの命に、そして大いなる命に生かされている私たち・・・
その大いなる命とは、私たちが日々お唱えする『法華経 如来寿量品第十六(お自我偈)』に説かれるところの「久遠の本仏」であると・・・
このようなお話を賜りました♪

続いて、上田先生がご登壇され「仏事作法」についてのお話です☆

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上田先生は、法式・声明の第一人者でいらっしゃいます。
そんな上田先生に、日々の信行生活の基本である仏前作法や、お仏壇やご本尊のお祀りの仕方などを中心にお話を賜りました。
「礼拝」の説明では「仏さまを最大限に敬う、という気持ちを体で表したのが礼拝である」とおっしゃられました。
気持ちだけ敬っていても、その表現が疎かになってしまったら、その気持ちは仏さまには届かないと。
「動作は心を作り、心は動作を伝える」これこそが、礼拝の基本だと仰られました。

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このような礼拝のお話に始まり、御本尊について香や華のお話、またお数珠のお話などなど、わかりやすく説明して下さいました。

そして、お話の最後には、
「私たちは、死んだらどこへいく??」
という、シンプルかつ最も重要な問いかけをされました。
私たち法華経・お題目を信仰する者は、
霊山浄土へ行くのだ!
その霊山浄土は、お題目を受持する所にそのまま顕れる、それこそが
即身成仏である!
「霊山往詣」は未来のものではなく、現在の信行生活の中、信仰の中にこそ顕れるのだ、と。
その確信に満ちた先生のお話に、深い感動を覚えました。

そんな先生の講演の最後のお言葉
「迷っても、悟っても、仏の中」
非常にありがたいお言葉でした☆

次回の公開講座は、
11月10日(土) 本法寺さま
にて行われます。
ミニ法話に護国寺副住職 上田尚史上人
本講座に、身延山大学学長 浜島典彦上人
お二方のお話を賜ります。
次回も、是非参加したいと思います☆

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※写真は、会場・本法寺さまの「十(つなし)の庭」です☆
  1. 2012/09/09(日) 23:58:33|
  2. 宗門関係
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☆★☆★ 墨染寺 秋季彼岸会のご案内 ★☆★☆

ブログを始めて早3ヶ月が経ちました。

「墨染寺blog」と銘打って始めました。
そう「墨染寺blog」と・・・
しかし、お寺の情報をあまり掲載していない、という大変な事実に気付いてしまいました。。。
お盆の案内も、書こう書こうと思いながら、棚経の忙しさにかまけ更新できず。。。
当山の盂蘭盆施餓鬼会の報告も、ネットが繋がらなくなるというトラブルで更新できず。。。
反省しきりです。。。 

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写真は8月18日に行われた、盂蘭盆施餓鬼会の時の本堂の様子です。

ということで、今月9月は秋のお彼岸の月であります!!
当然、当山墨染寺でも、秋季彼岸会を厳修致します!
詳細は、以下の通りでございます!

☆★☆★ 墨染寺 秋季彼岸会のご案内 ★☆★☆
○日時:平成24年9月22日(祝)14時~
○場所:墨染寺本堂


迷いの此岸から、悟りの彼岸へ・・・
「菩薩」たる私たちが「六波羅蜜」という六種類の仏道修行を通して涅槃の境地を目指すお彼岸の一週間
布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智慧の6つの修行。
皆と共に彼岸へ渡る一週間。
そんな彼岸のお中日、昼と夜の長さが同じになるお中日に、彼岸会を行います。
万障お繰り合わせの上、ご参拝賜りますよう、ご案内申し上げます。

副住職 日暮 有宏 拝
  1. 2012/09/06(木) 16:27:08|
  2. 墨染寺
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【今日のなるほど】『春宵十話』

9月に入りました!
先日は、「ブルームーン」ということで、キレイな満月が夜空に浮かんでいました☆
お月様がキレイな季節になって参りました。
朝晩が涼しくなって段々過ごしやすくなってきています。
暑い夏が終わり、秋がやってくる。また季節が巡っていきますね。

さて、【今日のなるほど】、本日は岡潔『春宵十話』を読んだのでご紹介いたします☆

春宵十話

岡潔さんは、京大出身の数学者だそうで、数学の研究はもちろん、名随筆家としても知られています。
「数学者」ということで、理詰めで語るイメージがありましたが、その眼差しは非常に柔らかく「日本という国」、「東洋的なるもの」を常に心に抱き続けていらっしゃった方なのだなあと、文章を読んで拝察しました。

本の中で「教育」について語られている部分がありますが、
「"情緒"というものを教育では教えていかなければならない!」と仰っていました。
また、「はしがき」には、
「私が急に少しお話ししようと思い立ったのは、近ごろのこのくにのありさまがひどく心配になって、とうてい話しかけずにはいられなくなったからである。」
と書かれています。1963年のことです。
今こそ岡先生に語ってもらいたい、そんな"今の"「このくにのありさま」を思います。

さて、今回の印象に残った部分を紹介します。

よく人から数学をやって何になるのかと聞かれるが、私は春の野に咲くスミレはただスミレらしく咲いているだけでいいと思っている。咲くことがどんなによいことであろうとなかろうと、それはスミレのあずかり知らないことだ。咲いているのといないのとではおのずから違うというだけのことである。私についていえば、ただ数学を学ぶ喜びを食べて生きているというだけである。


「自分らしく」「自分探し」という言葉が時々聞かれますが、ともすれば「自分」というものに囚われすぎて抜け出せなくなる、そんな危険もあるかと思います。
「自分」を越えたところに境地があるのだろうと思います。
上の文章を読んで、非常に仏教の考えと近いところがあるなあ、と思いました。

宮澤賢治さんの「雨ニモマケズ」の一部分、
「アラユルコトヲジブンヲカンジョウニ入レズニ」
も、上の文章と通じる部分があるように思います。

我欲を捨てて、仏道に精進する。。。
「聞法歓喜讃 乃至発一言 則為已供養 一切三世仏」
(法を聞いて歓喜し讃めて、ないし一言をも発せば、則ちこれすでに、一切三世の仏を供養するなり。)
そんな生き方ができればいいな、と思いました。
  1. 2012/09/03(月) 23:55:51|
  2. 【今日のなるほど】
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