墨染寺blog~ぴぐ坊のつれづれ日記~

ぴぐ坊こと当山副住職が仏教のことを中心に、日々のよしなし事を綴ります♪

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11月11日 小松原法難のご聖日

御宝前の日蓮聖人像にお掛けする綿帽子
先日の記事でもご紹介しましたが、額に傷を受けられた日蓮聖人
お祖師さまのその傷が、寒さで痛まないように、せめてこの綿帽子で。。。
お祖師さまをいたわるその気持ち、信仰の根本の姿を見る気がいたします。

DSC03167.jpg

その日蓮聖人が額に傷を受けられたのが、
文永元年(1264)11月11日に起こった小松原法難です。
本日は、宗祖小松原法難のご聖日にあたります。

文永元年11月11日、伊豆流罪を許され故郷の安房に戻っていた日蓮聖人は、天津の領主・工藤吉隆の招きをうけ、弟子・信徒数名と共に屋敷へと出発しました。
その道中、日も傾きあたりは夕闇に包まれんとする中、松原という大路にさしかかったところで、数百人ともいわれる手合いが、突如日蓮聖人ご一行に襲いかかりました。
この一味を率いていたのが、以前より日蓮聖人を憎んでいた東条景信でした。
東条景信はこの安房小湊あたりの地頭を務め、さらには熱心な念仏信者でありました。
景信は、日蓮聖人が立教開宗の時に故郷でお題目の信仰を説き始めた時から、自らの念仏信仰を否定されたと怒り、日蓮聖人を亡き者にしようと目論んでいたのでした。
そしてついに、日蓮聖人が故郷に戻っているのを知り、松林にひそみ奇襲するというなりふり構わぬ行動をとったのでした。
無防備の日蓮聖人、弟子・信徒たちが必死にお護りしようと奮戦しますが、多勢に無勢、次々と凶刃に倒れていきます。弟子である鏡忍房、そして途中まで出迎えに来ていた工藤吉隆らが、日蓮聖人の盾となって殉死されてしまいました。
そして、首謀者である東条景信は、馬上から日蓮聖人に向かって刃を振り下ろしました。
その刃を持っていた数珠で受け止められ、身をかわします。しかし、切っ先は日蓮聖人の眉間に。。。これが、日蓮聖人が受けられた額の傷です。
しかしその時、不思議なことに、急に景信を乗せた馬が暴れ出し、景信は落馬
大怪我を負った景信ら一味は、自身の館へと引き返し、日蓮聖人は一命を取り留められたのでした。

008 日蓮聖人 小松原法難

この小松原法難の地に、現在「小松原山・鏡忍寺」という本山が建立されています。
工藤吉隆の息子、日隆上人が小松原法難より17年後、命を賭して日蓮聖人をお護りした父、そして鏡忍坊を弔うために一寺を建立、鏡忍房を開祖、父・吉隆を二祖、自らを三祖としました。
この鏡忍寺さまは、来年迎える「小松原法難750年」に向けて、特別開帳をされているそうです。
宗祖のご苦難を偲び、お参りできたらいいな~と思います。

「小松原法難750年 特別サイト」コチラ!!
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  1. 2012/11/11(日) 07:20:45|
  2. 年中行事・ご聖日
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