本日9月30日、
本山本満寺さまにて、
修法師会主催の
国祷会が行われました!
「修法師」とは、
100日間の荒行を成満した僧侶のことを言います。

今回は
「国土安穏」を祈念する
「国祷会」ということで、
約1時間の読経・唱題、並びに御宝前にての修法を行いました。

日蓮聖人は
『祈祷抄』という御遺文の中で、
「法華経の行者の祈りの叶わぬことはあるべからず」と述べられています。
このお言葉、
「法華経の行者ならば、どんな祈りでも叶わないものはない」と直訳できますが、私は
「法華経の行者」というところがポイントだと思っています。
「法華経の行者」が祈るべき祈りとは?それは個人的な欲望達成の為の祈りであったり、願いであってはならないと思います。
日蓮聖人は
『立正安国論』の中で、
「国を失い家を滅せば、何れの所にか世を遁れん。汝すべからく一身の安謂を思わば、先ず四表の静謐を祈るべきものか」と述べられています。
現代社会も、いかに科学や技術が進歩しても、突然襲う自然災害からは逃れられるものではありません。
そんな世の中にあって、
先ず法華経でもって国を安んずることを祈る、これこそが
「法華経の行者」の祈りであり、
「立正安国」の教えであろうかと思います。
これからも、この国祷会にはできるだけ参加させて頂ければと思います。
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- 2013/09/30(月) 19:39:37|
- 宗門関係
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昨日
9月23日は
お彼岸のお中日。
そんなお中日に、当山におきまして、
秋季彼岸会法要を勤めさせて頂きました。
たくさんの檀信徒の皆様にご参拝賜りましたこと、厚く御礼申し上げます。
お釈迦さまは、私たちが住んでいる世界を
「娑婆世界」と申されました。
娑婆(しゃば)とは、サンスクリット語の
「サハー」を音写したもの。
「サハー」とは
「耐え忍ぶ」という意味があります。
つまり、私たちが住むこの娑婆世界は、
「耐え忍ぶ地」=「忍土」なのです。
私たちが生きていく中には、様々な苦しみに耐え忍んでいかなければならないことを、お釈迦様は仰っています。
その苦しみはどこからやってくるかというと、私たちの心の中にある
「貪(むさぼりの心)・瞋(いかりの心)・癡(おろかな心)の三毒」から生み出されます。
この心の中の三つの毒から離れ
「仏に成る道」としてお釈迦さまが示された2つの教えが、
「中道」と
「菩薩行」です。
中道は、善と悪、また苦と楽といった二項対立を止揚し、どちらの極にも偏らないような心の在り方を言います。菩薩行とは、「菩薩の行い」のことで、大まかには、自分以外のために行う利他行のことを言います。前回の記事で、
お彼岸は「迷いの岸(此岸)から悟りの岸(彼岸)へと渡るための仏道修行の期間」と書きましたが、具体的に何をするのかというと、
「六波羅蜜」という修行を通して菩薩行を実践し、「中道」という心の在り方に住することを目指す期間であります。
今日からお彼岸も後半に入りました。
皆様も、是非
「中道」「菩薩行」を念頭に置いて過ごして頂ければ、幸いに存じます。
- 2013/09/24(火) 16:05:39|
- 墨染寺
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昨日より、
秋のお彼岸に入りました!
お彼岸は
「迷いの岸(此岸)から悟りの岸(彼岸)へと至るための仏道修行の期間」であります☆
六波羅蜜という6つの仏道修行を行う一週間。
①布施
②持戒
③忍辱
④精進
⑤禅定
⑥智慧の6つの仏道修行を、23日のお中日をはさんで前後3日間に配当して行います。
詳しくは、コチラの記事をご覧下さい☆
■お彼岸のお話~その①■お彼岸のお話~その②さて、当山墨染寺では、23日のお中日に秋季彼岸会法要を厳修致します。
■□■□ 秋季彼岸会法要のご案内 □■□■
日時:平成25年9月23日(月・祝) 14時~
場所:墨染寺 本堂お彼岸は、ご先祖様を敬い、また自身の行いを振り返る期間でもあります。
是非とも万障お繰り合わせの上、ご参拝賜りますよう、ご案内申し上げます。
- 2013/09/21(土) 22:12:18|
- 墨染寺
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先日の
台風、大変な被害となりました。
当山は、お陰様で大きな被害もなく、また、檀信徒の方々も今のところは被害等の報告は受けておりません。
少しホッとしましたが、京都市内でも嵐山や久我など大きな被害に遭われた地域もあり、自然の猛威にただただ畏怖の念を抱いております。
復旧復興には時間がかかりそうです。
被害に遭われたすべての方々に、心よりお見舞い申し上げます。
さて先日、高槻まで
雅楽の練習に行ってきました。
私は
「笙」という楽器をやっているのですが、最近後輩が笙を始めて、先生に習いに行っているので、私も便乗してここ数ヶ月、教えを請いに伺っております♫
「笙」という楽器はコチラ↓

私が雅楽(笙)を始めたのは7年ほど前で、始めた当初は先生について習っていたのですが、ここ数年はほとんど習いに行っておらず、我流でやっていたようなもの。。。
ですので、初心の後輩と共に、基礎からお稽古をつけてもらうことができ、非常に充実した時間を過ごしております。
※練習風景です♫私が数年ぶりにお稽古をつけて頂いているのには、一つ大きな理由があります。
2ヶ月後の
11月9日の
「音輪会(おとのわかい)雅楽演奏会」に出演するためです!
春秋座という大きなホールでの演奏会ですので、みっともない演奏では他の出演者の皆様にご迷惑をお掛けすることになりますので、頑張って練習に励んでおります。
もし、ご都合よろしければ、ご来場賜われれば幸いです。
芸術の秋、雅楽の音色に浸るひとときを、お過ごし頂ければと思います。
詳細は、以下の通りです。
■□■□音輪会 雅楽演奏会□■□■
○日時:平成25年11月9日(土) 開場17時/開演17時30分
○場所:京都芸術劇場 春秋座
○料金:前売り3,000円/当日券3,500円前売り券が私の手元に若干枚ございますので、ご興味がありましたら、ご連絡下さい。
ご来場、お待ちしております♫
- 2013/09/18(水) 15:52:14|
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昨日
9月12日は、日蓮大聖人、
龍口法難のご聖日でした。
文永8年(1271)9月12日、
平左衛門尉頼綱(へいのさえもんのじょうよりつな)ら数百名の兵が、日蓮聖人が住まわれる松葉ヶ谷のご草庵に押しかけました。
文永8年といえば、鎌倉が
大干ばつに陥った年で、幕府は、当時民衆の間で絶大な支持を得ていた
「良観房忍性」という僧侶に、雨乞いのご祈祷を依頼しました。
これを聞いた日蓮聖人は、その良観房に、「もし7日間のうちに雨が降れば、私がそなたの弟子となろう。もし降らなければ、法華経に帰依せよ」と
祈雨のご祈祷の対決を挑みました。
良観房はその挑戦を受け、7日間の雨乞いの祈祷を始めました。
しかし、7日経っても雨は降らず、さらに7日間のご祈祷を行います。それでも雨はふりません。
その後、日蓮聖人が法華経を読誦し、お題目をお唱えし、ご祈祷を行うと、
たちまちのうちに大雨が降り、日蓮聖人のご法力が世に示される結果となりました。
この結果に怒った良観房は、日蓮聖人を陥れようと幕府に
訴状を提出します。
幕府は、日蓮聖人を呼び出し裁判にかけます。
裁判長であった
平左衛門尉頼綱は日蓮聖人を問いただしますが、日蓮聖人は決してご自身の信仰を曲げることなく
「天下泰平のためには、誤った信仰を即座に正し、法華経に帰依しなければならない」という主張を繰り返しました。
これを聞いて激怒した頼綱は、上記のように、数百名の兵を引き連れて日蓮聖人の住居に押し入り、
日蓮聖人を逮捕したのでした。
日蓮聖人は、鎌倉市中を引き回され、その後、
処刑場である龍ノ口へと護送されます。
幕府の発表では、佐渡へ流罪のはずが、
裏で日蓮聖人を処刑してしまおうという目論みだったのです。

夜も更け、9月13日の丑の刻、いよいよ日蓮聖人の処刑が執り行わることになりました。
日蓮聖人は、泰然自若として
「南無妙法蓮華経」と唱題三昧。
太刀取りの
依智三郎直重が、鞘から刀を抜き、いよいよ日蓮聖人に斬りかからんとしたちょうどその時!
江ノ島の方角から、目もくらむほどのまばゆさの
光の玉が飛んできたのです。
この光に目がくらんだ直重は、持っていた刀を放り投げ、斬首は中止、日蓮聖人は一命を取り留められたのでした。
その後、日蓮聖人は表向きの刑の通り、佐渡島へと流されることとなりました。
これが、龍ノ口のご法難です。

日蓮聖人のご生涯は
「大難四ヶ度、小難数知れず」という程、様々な迫害が続くご生涯でした。
そんな日蓮聖人のご生涯の中でも
「大難中の大難」と言われるのがこの
龍ノ口でのご法難です。
日蓮聖人の
「我、身命を愛せず、但、無上道を惜しむ」という、法華経に生き、法華経に身を捧げられたそのご生涯を偲び、昨日、ささやかながら
「龍口法難会」として、唱題・読誦させて頂きました。
- 2013/09/13(金) 20:43:44|
- 年中行事・ご聖日
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現在、京都山科にある
大本山本圀寺さまにおいて
「布教院」という修行が開催されています。
何の修行をするところかといいますと、読んで字の如く
「布教」について研鑽するところ、つまり、
お説法の修行をする場所でございます。
9月1日から14日までの15日間、院生の皆様が、布教やお説法について、昼夜常精進で研鑽に励まれています。
その布教院では、毎朝
「晨朝説教」というものが行われていて、一般の参拝の方々も院生の方々のお説法を拝聴することができます!
私も、昨日からこの晨朝説教を拝聴しに、本圀寺さままで出向いております。


院生の方々の素晴らしいお説法に、いつも刺激を受け、私も頑張ろう!と思わせて頂いております。
日蓮宗には
「高座説教」と呼ばれる伝統的な法話のスタイルがあります。
この「高座説教」は、
落語の元になったとも言われているものです。
この高座説教の中では
「繰り弁」と呼ばれる独特のお話しが出て来ます。
これは、日蓮大聖人のご生涯の一場面を、臨場感たっぷりに文語調でお話しされるものです。
人物を演じ分けるところがあったりと、落語的な要素もあり、非常に面白いと思いますので、一度是非ご拝聴下さい☆

この晨朝説教は、9月14日まで毎朝行われております。
毎朝7時30分より、本圀寺さまの本堂にて行われます。
興味のある方は、是非早起きをして頂いて、ご参拝下さいませ☆
- 2013/09/07(土) 15:02:58|
- 宗門関係
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昨日9月4日、松林院さまにて行われた
勉強会に行ってきました。
講師として壇上に立たれたのは、元・大阪大学学長で、現在、大谷大学で教鞭をとっておられる
鷲田清一先生。
鷲田先生は、
現象学や
臨床哲学の大家で、私も著作を何冊か読ませて頂きましたが、身近なテーマを用いて、哲学を分かりやすい言葉で論じていらっしゃる著作が多く
、密かなファンとして鷲田先生を勝手にお慕いしておりました。
(過去に鷲田先生の著作について記事にしておりますので、
コチラもよければ☆)
そんな先生のお話を拝聴できるということで、万難を排して松林院さまに伺いました♪
講題は
「臨床哲学について」ということで、先生が研究・実践されている臨床哲学についてのお話しや、また、
宗教と哲学、
他者とのコミュニケーションの在り方や
コミュニティの在り方といった領域にもお話が及びました。
お話しの中で興味深かったのは、都市部や周辺部のコミュニティの在り方がどんどんいびつになっている中で、出産・教育・医療・介護・防災・葬儀…といった
「命のケア」という部分が、外部委託的に全てプロに任せ、サービスをお金で買う社会となっている現状があり、
本来「国の主」であるはずの市民・国民が、「国の客」に成り下がっている、というものでした。
お寺の事を考えても、葬儀に関しては葬儀社任せ、私たち僧侶は、お通夜・葬儀・お逮夜などでお経をあげるだけ・・・という現状があり、私たち僧侶も単なるサービス提供者となってしまっていることを、改めて考え直さなければ、と反省するようなお話しでした。
鷲田先生のご講義の後、松林院の御住職のご挨拶の中で
「僧侶も'哲学できる僧侶'にならなければ」という趣旨のお話しをされました。非常に共感いたしました。
哲学についても、知識を深めていこうと決意した一日となりました♪
- 2013/09/05(木) 22:05:32|
- その他
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