墨染寺blog~ぴぐ坊のつれづれ日記~

ぴぐ坊こと当山副住職が仏教のことを中心に、日々のよしなし事を綴ります♪

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龍口法難のご聖日!

昨日9月12日は、日蓮大聖人、龍口法難のご聖日でした。

文永8年(1271)9月12日、平左衛門尉頼綱(へいのさえもんのじょうよりつな)ら数百名の兵が、日蓮聖人が住まわれる松葉ヶ谷のご草庵に押しかけました。

文永8年といえば、鎌倉が大干ばつに陥った年で、幕府は、当時民衆の間で絶大な支持を得ていた「良観房忍性」という僧侶に、雨乞いのご祈祷を依頼しました。
これを聞いた日蓮聖人は、その良観房に、「もし7日間のうちに雨が降れば、私がそなたの弟子となろう。もし降らなければ、法華経に帰依せよ」と祈雨のご祈祷の対決を挑みました。
良観房はその挑戦を受け、7日間の雨乞いの祈祷を始めました。
しかし、7日経っても雨は降らず、さらに7日間のご祈祷を行います。それでも雨はふりません。
その後、日蓮聖人が法華経を読誦し、お題目をお唱えし、ご祈祷を行うと、たちまちのうちに大雨が降り、日蓮聖人のご法力が世に示される結果となりました。

この結果に怒った良観房は、日蓮聖人を陥れようと幕府に訴状を提出します。
幕府は、日蓮聖人を呼び出し裁判にかけます。
裁判長であった平左衛門尉頼綱は日蓮聖人を問いただしますが、日蓮聖人は決してご自身の信仰を曲げることなく「天下泰平のためには、誤った信仰を即座に正し、法華経に帰依しなければならない」という主張を繰り返しました。
これを聞いて激怒した頼綱は、上記のように、数百名の兵を引き連れて日蓮聖人の住居に押し入り、日蓮聖人を逮捕したのでした。

日蓮聖人は、鎌倉市中を引き回され、その後、処刑場である龍ノ口へと護送されます。
幕府の発表では、佐渡へ流罪のはずが、裏で日蓮聖人を処刑してしまおうという目論みだったのです。

009 日蓮聖人 八幡大菩薩諫暁


夜も更け、9月13日の丑の刻、いよいよ日蓮聖人の処刑が執り行わることになりました。
日蓮聖人は、泰然自若として「南無妙法蓮華経」と唱題三昧。
太刀取りの依智三郎直重が、鞘から刀を抜き、いよいよ日蓮聖人に斬りかからんとしたちょうどその時!
江ノ島の方角から、目もくらむほどのまばゆさの光の玉が飛んできたのです。
この光に目がくらんだ直重は、持っていた刀を放り投げ、斬首は中止、日蓮聖人は一命を取り留められたのでした。
その後、日蓮聖人は表向きの刑の通り、佐渡島へと流されることとなりました。
これが、龍ノ口のご法難です。

010 日蓮聖人 龍口法難

日蓮聖人のご生涯は「大難四ヶ度、小難数知れず」という程、様々な迫害が続くご生涯でした。
そんな日蓮聖人のご生涯の中でも「大難中の大難」と言われるのがこの龍ノ口でのご法難です。

日蓮聖人の「我、身命を愛せず、但、無上道を惜しむ」という、法華経に生き、法華経に身を捧げられたそのご生涯を偲び、昨日、ささやかながら「龍口法難会」として、唱題・読誦させて頂きました。

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  1. 2013/09/13(金) 20:43:44|
  2. 年中行事・ご聖日
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