様々な会で総会が行われたり、会議が行われたり、行事に参加したりと、慌ただしい毎日を過ごしておりました。
そんなことで、なかなかブログの更新もままならず…
大変申し訳ございません!m(_ _)m
これからは、気合いを入れ直して更新して参りたいと思います。
さて、昨日4月26日、京都日蓮聖人門下連合会主催の「立教開宗会」が行われました。
日蓮聖人が若かりし日にご遊学の拠点とされた、比叡山は横川・定光院を会場に、たくさんの檀信徒の皆様のご参拝のもと、賑々しく厳修されました。




日蓮聖人は、若かりし時、比叡山にてご修行されていました。
21歳から32歳までの足かけ12年のご修行は、「あまたある仏教経典の中で、本当に正しい教えとは一体何なのか?」ということを追求するためのご修行でした。
比叡山は横川を拠点に、ある時は叡山の麓の三井寺や園城寺へ、ある時は京都へ、またある時は高野山へ密教の勉強へと、各地へ赴かれ、仏教諸宗派を習い極めんとされたのでした。
そして、一切経を全て紐解かれた中で、「末法に生きる私たちを救う経典は、法華経以外にはあり得ない」との確信を抱かれ、比叡山の修行を終えられ、故郷である安房・小湊へと戻られたのでした。
そして、建長5年4月22日、故郷で修行をしていた清澄寺へ戻ると、その足でお堂に籠もられ、禅定に入られます。
参籠すること7日間、日蓮聖人は「法華経こそが末法の衆生を救済するための経典である」と人々に説くか説くまいかで、非常に葛藤を繰り返されたと伝えられています。
故郷である安房を支配する地頭は、熱心な念仏信者である東条景信。
そして、故郷の人々は皆、念仏を信仰している。
その中で、「法華経こそが正しい」と言えば、必ずや迫害が起こることは間違いない。
こう考えられた日蓮聖人は、参籠されている間、自問自答を繰り返されたのでした。
しかし、日蓮聖人はついに法華経に説かれている「我不愛身命 但惜無上道(我、身命を愛せず 但、無上道を惜しむ」のお経文を拠り所として、4月28日の明け方、籠もられていたお堂をお出になり、旭ヶ森へと向かわれます。
旭ヶ森に立たれた日蓮聖人は、昇りくる朝日に向かって
「南無妙法蓮華経 南無妙法蓮華経・・・」と力強くお唱えになられたのでした。

この、日蓮聖人が初めてお題目をお唱えになり、宗を開かれた日を記念し、4月28日には「立教開宗会」が全国各地で厳かに営まれます。
明日は、立教開宗の正当日。
私たちにお題目をお伝え下さった日蓮聖人への報恩感謝の誠を尽くす一日としたいものです。
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